[ ID 生産の背景]
1)工作精度の歴史:

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 高圧油圧装置の構成部品には、全て高い工作精度を要求されていました。1955年当時としてはこの精度、すなわち最小の「クリアランス」は潤滑と可動性(油膜形成と動き易い度合い)に最も適した値は[1 ミクロン]であり、最大でもオイル漏れや効率低下をきたさないために[3 ミクロン]以内でなければなりません。
 この1~3ミクロンの精度を得るために特別の工業生産は、パリ郊外の Asnieres 工場で採用された冶金術、工業化学、機械工学でした。この歴史を年代を追って知ることは大変興味深いものです。
 1954年:15-Six に初めて高圧油圧が導入された時には、32 ミクロン以上にばらついていましたから、ボアとピストンは 32 クラスもあった訳です。言い換えれば、この「ばらつき」の内から1~3 ミクロンの範囲で「組み合わせ」を選び出して組み合わせていたのです。これでは大量生産は出来ません。
 1955年:DS 19 では、16 クラスにまで下げられましたが、まだまだ生産性は「低いもの」でした。1960年には6 クラスにまで下げられましたが、充分な生産性ではありませんでした。この精度を「要求する油圧部品」は多数あったからです。高圧ポンプを始め、ハイトコレクター、ギヤセレクター、ブレーキシリンダーとか数え上げたらきりがありません。これらの生産数を考えても、DS=DX の生産数には「限界にある」ことがわかります。
 1961年になって「全ての部品」が同一ミクロンで生産されるようになったのです。すなわち、最早1 クラスで生産されるので、製品を「測定して組み合わせる」必要は無くなったのです。 35,000 個/日、700,000 個/月の製品が同じミクロンで造り続けられるようになったのです。 D シリーズが本当の意味で「大量生産車」になったのは 1961年以降だと云うことを、どの位多くの執筆者が知っているのでしょうか?
 例えば、ハイトコレクターはスライド・バルブ; 6mm364μ~6mm365μ、ボア; 6mm366μ~6mm367μ の間で生産されています。従って、この組み合わせでは最大のクリアランスは 1~3μになっています。この精度を保つには「製造許容度を 5/10 から 7/10 μ に上げねばなりませんし、最高の材料を選び、最適な熱処理のもとで製造されなければなりません。
 この文章は「そっくり私の WHY CITROEN Q&A から転記」していますが、その参考文献はシトロエン広報の High- Pressure-Hydraulics ( 1986-6 )です。

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2) 高圧ポンプの問題:

 高圧ポンプには大きく分けて 2種類あります。1) Single-Cylinder-Pump. 2) Multi-Cylinder-Pump です。 Single-Cylinder-Pump は、クランク・シャフトの偏心運動によりピストンが往復運動をして 1,18cc/ストローク(CX-2000)吐出する能力があります。 Multi ( 7-piston) Pump はエンジン半回転で 2,85cc/ストロークの能力があるのです。( CX TECHNICAL DESCRIPTION ;1975) 5倍以上の能力差があるのですから、1)の製造能力を考えると、1-Piston と 7-Pistons と必要部品に 7倍の差があるのですから、当時の DS 19の製造能力をも考慮するべきではないでしょうか???事実、CX の発売開始時にはシングル・ポンプの 廉価版 CX2000 は当然パワーステアリング無しで ID に相当するものでした。 ID/ DS と同じ事をやっているのです。後の BX, XMの時代でも HP の能力不足でパワー・ステアリングとサスペンションとの高圧油量の取り合い状態が経験されているのです。
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3)DS 19の操縦性は嫌われたのか:
 DS 19のブレーキ配管のダイアグラムが、現在のものと全く同一べあったとは「不勉強」で知りませんでした。この図は既に「検討済み」ですから、われわれの経験からすれば「直ぐに慣れる範囲」のものでしょう。従って、ID 19の生産には「渡りに船」ではなかったのかと考えるのは不自然でしょうか? ID 19の普通の他の車と同じ「ロッキード製のブレーキ」で前輪ディスクと後輪の大きなドラムを踏んだとしたら、後輪はスピンしなかったのでしょうか? 逆に云えば、その位に FWD (FF) の前輪荷重が70~80% も( 柔らかいサスペンションで重心の移動が大きい )あったとしたら、パワーアシスト無しにディスクブレーキで止まるのは大変だった事でしょう。
 TRACTION AVANT からの乗り換えですから、私の現在の想像とは違ったものでしょうが、ID 19 とは何のアシストも無い車ですから「すごい車」だったでしょう。当時でも、T.A.15 Six の運転は大事だったそうですから! 以前、ハイドロニューマティクの30周年でCGのT氏と対談した時、彼が前にDWに乗っていた経験談で、クラッチの重かったことを「シートに背中がめり込んだ」と話ておられた事を思い出します。
4) DS/ ID の生産台数:
 TOUTES LES CITROEN によれば; DS: 9,936/1956年、 ID /DS; 28,593/1957年、 ID /DS; 52,466/1958年、 ID /DS; 66,931/1959年、ID/DS; 83,205(Break含む)/1960年、ID/DS; 77,597(Break含む)/1961年です。ミクロン単位の精密部品が 1台に10以上あると考えられますから、製造能力一杯だったのではないでしょうか?下記**の項の記載と一致しそうなデータです。  
 以上検討した事項が「問題にならないレベル」であったのであれば、1965年秋から エンジンに余裕が出来たから 「DS に近いシステムに改善する」理由がないでしょう。 ID は前輪ディスクには高圧油圧を、後輪ドラムには後輪サスペンション油圧を作動させる後の GS, CXと全く同じシステムに「改良」したのです。
5)初期(1955~1962年) は、シトロエン社としてはサスペンションの生産で「手一杯」だったのでしょうし、初期にはギヤ、クラッチ関連のトラブルで問題を多くかかえていたのです。従って、半自動トランスミッション(この名称は適切でない)が、改善をしながら完成したと考えられると私は主張していますが、この点に就いては別項で再検討します。

**事実、ID 19 発売開始時の本社発表は、"new model will be produced at the rate of 3,000 a month by next spring, which is a higher rate of production than at present is being achieved by the DS 19."( ID 19の生産は現在の DS 19 のペース以上で生産されるだろう・・)なのです。 ( from:BROOKLANDS BOOKS, P-9 )

6) SECOND THOUGTH : Cheaper, Simpler Version of Big Citroen is ID 19. と言う結論が出されたのでしょう。( Autocar Oct. 5 1956 )
 
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by citroenDS | 2006-06-14 22:30 | Citroen 資料紹介


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